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2007年12月13日 (木)

「春暁」(春眠暁を覚えず)  孟浩然

 

 

 

 

 

  「春は曙」

               AKY訳

「春は曙 何時までうつら」

軒端雀のにぎやかな

(おも)えば夜中に雨風の音

(はな)も散ったか おおかたは

(原詩)

 「春暁」

   孟浩然

春眠不覚暁

処処聞啼鳥

夜来風雨声

花落知多少

 

(読み下し文)

 「春暁」

               孟浩然

春眠暁を覚えず

処処(しょしょ) に啼鳥(ていちょう)を聞く

夜来(やらい)風雨の声

花落つること知る多少


 

 

 「春の明け方は、気持ちよく、いつまでもうつらうつらしてしまう。」
 のんびりした春の境地をうたっているようですが、第三句に突然「風雨の声」がして、第四句の「花落つ」と続くので、この詩が、ただ、春の風情を愉しんでいるだけでのものではないことがわかります。

 孟浩然(六八九~七四〇)は、何度受けても科挙に及第せず、失意のうちに郷里に帰って隠遁したといわれています。もし、科挙に合格し、宮仕えの身となっていれば、たとえ、春の朝とはいえ、うつらうつらしてはいられません。当時では、高官に成るほど朝は早くつとめに出なければならなかったそうです。それにひきかえ自分は・・・。うかうかしている間に世の中は、どんどん変わってしまった。もう自分の出る幕はないのではないか。第三句以下には、そのような気持ちが含まれているような気がします。そういえば第二句の朝の鳥の鳴き声も、「いい年をして」といろいろ言われている近所のかみさんたちの井戸端会議のようにも聞こえてくる。


 この詩には、松下さんのほか、井伏さん、土岐さんの訳があり、どれもそれぞれの方らしい訳ですが、わたしは、わたしなりのイメージで訳してみました。

  • 曙」:曙は、原詩では、「暁」となっていますが、「春はあけぼの」という枕草子の一節を使いたいと思って調べてみました。『【暁】〔「明(あ)か時(とき)」の転〕夜の明ける頃。東の空が白み始める頃。古くは、夜半過ぎから明け方までを指した。【曙】夜がほのぼのと明ける頃。暁(あかつき)の終わり頃。』(広辞苑) とあります。それなら、むしろ、この方が後の句への繋がりもむしろぴったりです。
  • 「多少」:この場合、多少は、多いという意味。少は、添え字で意味を持たないのだそうです(駒田信二、「漢詩名句 はなしのはなし」)。

[(参考)他の方々の訳詩]

「ネムタイ朝ノユメゴコチ」
          松下緑訳
ネムタイ朝ノユメゴコチ
チュンチュン雀モ鳴イテイル
昨夜ヒトバン雨風アレタ
花モヨッポド散ッタロウ

 

         土岐善麿訳
春あけぼののうすけむり
まくらにかよふ鳥の声
風まじりなる夜べの雨
花ちりけんか庭もせに

 

          井伏鱒二訳
ハルノネザメノウツツデ聞ケバ
トリノナクネデ目ガサメマシタ
ヨルノアラシニ雨マジリ
散ツタ木ノ花イカホドバカリ

(2008/05/27改訂)
「春暁」の印刷用ファイル(b001_print.pdf)をダウンロード


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