« 「照鏡見白髪」(宿昔青雲の志)  張九齢 | トップページ | 暁楽詩集 »

2007年12月22日 (土)

「贈喬侍御」(漢庭巧臣栄え)  陳子昴

 

 

 

 

 

「白髪頭の監査役」

              AKY 訳

「べんちゃらスタッフ出世して

武骨の一線かやのそと」

ものいう白髪の監査役

思いのたけを 誰か知る

「贈喬侍御」

    陳子昴

漢庭榮巧臣

雲閣薄辺功

可憐聡馬史

白首為誰雄

 

(読下し文)

「喬侍御(きょうじぎょ)ニ贈ル」

      陳子昴(ちんすごう)

漢庭巧臣榮え

雲閣辺功を薄(うと)んず

憐れむべし聡馬(そうば)の史

白首誰が為にか雄(さか)んなる


 

 

 「漢の時代以来、出世するのは、世渡り上手な役人ばかり、一線での功績は軽く見られがちだ。聡馬史と呼ばれた恒典にも比される喬侍御史殿、白髪の目立つ年齢にもなって、なんでそんなに意気盛んなのですか(誰も認めては、くれないのに)。」

  実は、白髪頭の喬侍御は、侍御史で、しかも祀山烽という辺境の要塞に勤務していたのですから、監査役というよりは、「辺功」(一線の指揮官)の方です。元の詩も喬侍御に「なんで、そんな歳になってまで、一線で働くの?」といっているのです。
 作者の陳子昴は、朝廷の体質を指摘しなければならない右拾遺ですから、監査役に近いのは、彼自身です。しかし、松下さんは、不祥事の続く現代の企業社会への警鐘、または、風刺の意味で、敢えて侍御史を監査役と訳されたのだと思います。
 松下さんの訳は、監査役自身が、言うべきことは言わなければならないと思いながらも、内心自分の首を心配しているとも、「あんなことまで言って、自分の首は大丈夫なの?」と周りが心配しているとも取れます。


 

 確かに「いうべきことをいう」というのは、大変なことです。首を心配するかどうかは別にしても、その間、心のうちでは、いろいろな葛藤があって、結果として、(いうべきことを)いったとしても、いわなかったとしても、その本当の気持ちは、それこそ、「誰にも(自分自身を含めて)わからない」のではないかと思います。

 陳子昴(六六一~七〇二)は、唐の詩人。二四才で右拾遺(拾遺は、天子を諌める役職)につき、しばしば天子を諌めたが聞き入れられず、職を辞して郷里に帰りましたが、のちに県令の讒言に逢い投獄されて憤死したといいます。

 この詩は、唐詩選では、「題祀山烽樹贈喬十二侍御(祀山烽に題して喬十二侍御に贈る)」という題になっています。喬侍御は、侍御〈侍御史の略、検察官〉の喬知之のこと、喬一族で年齢が十二番目の男という意味で喬十二郎と呼ばれたのです。祀山烽は、現在の甘粛省にあった辺境の要塞。この詩は、陳子昴が出張して、ここの検察官だった喬侍御に会ったときに詠んだものです。


 

[この詩で使われている言葉] 

  • 漢庭は、漢の朝廷、唐の朝廷を直接批判することを憚った。
  • 雲閣は、正式には雲台、平仄の為の呼び変え。後漢の明帝のとき建てられ、建国の功臣二八人の肖像を展示した。
  • 巧官は、世渡りのうまい役人、
  • 辺功は、前線の将士の功績。
  • 白首は、白髪頭・老人。
  • 聡馬史は、漢代に剛直な侍御史と知られた恒典のこと。権力者の非違を容赦なく弾劾して恐れられた。いつも聡馬(黒毛と白毛が混ざった馬)に乗っていたので、聡馬史と呼ばれたという(岩波文庫、唐詩選による)。
  • 「世渡リ巧者ガ出世シテ」
               松下 緑 訳

    世渡リ巧者ガ出世シテ

    現場ノ気骨ハキラワレル

    勇マシイノハ監査役

    白髪ノ首ガ気ニカカル

    (2008/05/26改訂)
    「贈喬侍御」の印刷用ファイル(b009_print.pdf)をダウンロード


    |

    « 「照鏡見白髪」(宿昔青雲の志)  張九齢 | トップページ | 暁楽詩集 »

    暁遊詩集」カテゴリの記事

    コメント

    コメントを書く



    (ウェブ上には掲載しません)




    トラックバック


    この記事へのトラックバック一覧です: 「贈喬侍御」(漢庭巧臣栄え)  陳子昴:

    « 「照鏡見白髪」(宿昔青雲の志)  張九齢 | トップページ | 暁楽詩集 »