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2007年12月18日 (火)

「山行」(遠く寒山にのぼれば石径斜なり)  杜牧

 

 

 「山の秋」

                AKY訳

秋深き

ひとけなき山のぼりきて

石径(いしみち)はるかそのさきの

白雲(くも)の切れ間に人家見ゆ

そぞろあたりを観るほどに

楓の木々に夕陽映(は)

燃える霜葉(もみじ)は桜(はな)とも競えり

 

秋の暮れ

 霜に打たれし紅葉は

  春の桜(はな)にも劣らぬものを

(原詩)       

 「山行」 

       杜牧

遠上寒山斜石径

白雲生処有人家

停車座愛楓林晩

霜葉紅於二月花


(読下し文)

 「山行(さんこう)

                 杜牧

遠く寒山に上(のぼ)れば 石径斜(ななめ)なり

白雲生ずる処(ところ) 人家有り

車を停(と)どめて坐(そぞ)ろに愛す
             楓林
(ふうりん)の晩(くれ)

霜葉(そうよう)は 二月の花より紅(くれない)なり


 

 

 「晩秋のさびさびした山を登っていくと、石ころの多いなだらかな小道が続いている。白雲の湧き上がるあたり、峯の近くに人家が見える。夕日に楓が映えている。車を止めて、ゆっくりあたりの風景を愛でていると、霜にうたれた楓の葉は、春の花よりも紅い。」

 中国では、春の盛りの花は、真っ赤な桃の花だとそうです。私たち日本人の感覚だと、春の花といえば、桜です。紅くはないけれど、日本人にとって桜は特別。もっとも、紅葉の季節には、その桜に負けないくらい、紅葉見物に夢中になります。特に京都の紅葉の季節の混雑振りは、春の桜にも見事さも人出もけっしてひけをとりません。京都の紅葉は、関東に比べて少し葉が小さく、葉の数は多いように思います。発色も紅くてきれいです。
 しかし、日本人の場合、桜の花より勝るとまでは、いうのは難しいでしょう。「競う」とか、[劣らぬ」で勘弁してもらうことにしました。

 杜牧:(八〇三~八五二)、字は牧之。晩唐を代表する詩人。二十五歳の若さで進士に及第、美貌で連夜妓楼に居続けするなど風流才子の名を残す反面、豪放磊落で、政治・軍事に精通していたともいわれる。杜甫を老杜と呼ぶのに対し、小杜と称される(岩波文庫、「中国名詩選」)。

  • 山行、山あるき、石径:小石の多い道。
  • 寒山、人里離れたひっそりした山。下の降りる季節の山という意味も含まれていると思う。
  • 白雲生処有人家、雲がかかっている山の上の方。そこまで上っていったのか、それとも、上を見上げたら、雲の切れ間に人家が見えたのか。
  • 車、唐詩画集には、手押し一輪車が描かれている。だとすると険しい上の方までは、上れないのではないか。
  • 、そぞろに、なんとなく。
  • 霜葉、霜に打たれて赤く色づいた葉、ここでは単にもみじとした。
  • 二月、陰暦の二月は春の盛り。

[(参考)他の方々の訳詩]

「霜ニ打タレシ紅キ葉ハ」
              松下緑訳

サミシキ山ノ石ノ路
        登レバ秋モ極マッテ

白キ雲湧ク峯チカク
       忽然トシテ人家アリ

車ヲトメテ暮レナズム
      カエデ林ヲ賞デル目ニ

霜ニ打タレシ紅キ葉ハ
       春ノ花ニモ勝リケリ

(2008/05/27改訂)
「山行」の印刷用ファイル(b005_print.pdf)をダウンロード


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コメント

今から、59年前の高校一年生の国語授業で
初めて習いました。何故だか?今朝、突然に脳裏に浮かびました。懐かしい思い出です。

投稿: Q爺い | 2017年11月23日 (木) 10:57

この「山行」そして「清明」といい杜牧の歌は漢詩初心者には理解し易いですね。
この若者は、お酒と女好きの色男で豪放磊落! 
10年後の「遺懐」の七言絶句では
 
自由奔放で生きた甘美な追憶が読み取られます。
10年は一瞬の夢であり覚めてみれば、自分に残されているものは浮気男という評判ばかりであった。 いかにも杜牧らしいですね。

投稿: n.fuji | 2019年11月15日 (金) 16:00

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