« A-006 「桃夭」(桃これ夭夭たる)  『詩経』 国風 周南 | トップページ | A-096 「鶏鳴」(鶏既に鳴けり) 『詩経』 国風 斉 »

2008年2月26日 (火)

A-001 「關睢」(關關たる雎鳩は河之洲に在り)  『詩経』 国風 周南

 

 「ミサゴが鳴いてる」

                 AKY訳

ミサゴが ツガイで鳴いている
 河の中州にたたずんで
  あの娘あでやか、花嫁候補

長短乱れて茂ったアサザ
 右に左に揺れている
  あの娘あでやか、お嫁に欲しい

願い叶わず 若者悩む
 寝ても覚めてもつきない悩み
  悩み悩んで 寝返りばかり

  ( ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ )

長短乱れて茂ったアサザ
 右に左につまみとる
  あでやかあの娘と 弾く琴と瑟
(こと)

長短乱れて茂ったアサザ
 右に左にむしりとる
  あでやかあの娘と 打つ鐘鼓
(かねたいこ)

(原詩)

關關雎鳩
在河之洲
窈宨淑女
君子好逑

參差荇菜
左右流之
窈宨淑女
寤寐求之

求之不得
寤寐思服
悠哉悠哉
輾轉反側

參差荇菜
左右采之
窈宨淑女
琴瑟友之

參差荇菜
左右芼之
窈宨淑女
鍾鼓樂之

(読み下し文)

關關(かんかん)たる雎鳩(しょきゅう)
河之洲
(かわのす)に在り
窈宨
(ようちょう)たる淑女は
君子の好逑
(こうきゅう)

參差(しんし)たる荇菜(こうさい)
左右に之をとる
窈宨たる淑女は
寤寐に之を求む

之を求めて得ざれば
寤寐
(ごび)に思服す
悠なるかな悠なるかな
輾轉
(てんてん)反側す

參差たる荇菜は
左右に之をとる
窈宨たる淑女は
琴瑟
(きんしつ)之を友(したし)

參差たる荇菜は
左右に之を芼
(えら)
窈宨たる淑女は
鍾鼓
(しょうこ)之を樂しむ


 この詩は、菜摘み歌で、大勢の人(おそらく女性)が、一緒に或いは、掛け合いのように歌って、リズムを合わせて菜を摘んだのだと思います。
男女が親しくなっていく様子を歌ったフレーズが主題で、アサザを取るフレーズと掛け合いになっています。

 前半の第一節と第三節は、後半の第四節、第五節と以降と形式・内容が少し違います。雎鳩という鳥がつがいで川の洲にいるところから、若者がつれあいを求め悩んでいる様子を表わしています。後半では、願いがかなって仲睦まじくなっているようです。
 そして形式の違う前半の中にあって後半の各節と形式の似た第二節が前後をつないでいます。
 ただ、この詩では、思い悩んでいるときと、願いがかなってからが、やや唐突な感じもします。私の訳では、時間の経過を示す意味で前後の間に「(・・・ ・・・ ・・・)」を入れてみました。カラオケなら、「長めの間奏」というところでしょうか。

[使われている言葉について]

  • 關關(かんかん)、鳥の鳴く声の擬声語、比較的穏やかな鳥の鳴き声。

 

  • 雎鳩(しょきゅう)、通常ミサゴと訳されている。しかし、白川静さんは、ミサゴは、海岸に住んでいて内陸には見られないとし、また、猛禽類であって、窈宨たる淑女とは、結びつきにくいとして、「みやこどり」のような川鳥であろうといっている。一方、内陸でも、大きな河や湖沼に住むとするものもあり、猛禽類とはいえ、胴、足、羽の裏は白く、長い羽を広げて空を飛ぶ姿は、優美でもある。夫婦仲がよく、夫婦共同で巣を作ったり、卵を温めたりもするという。この辺は、「君子の好逑」にふさわしいかもしれない。「ちっちっ」とか、「ぴょっぴょっ」と鳴くというが、「關關」という表現がそれにふさわしいかどうか、私には、わからない。
  • 窈宨(ようちょう)、あでやかで美しい。艶めかしい意味を含んでいる (白川静、平凡社「字統」) 。
  • 君子の好逑(こうきゅう)、立派な男のよい配偶者。
  • 參差(しんし)、長短ふぞろいの状態。
  • 寤寐(ごび)、ゆめうつつ。寤は、覚める。寐は、寝る。
  • 思服(しふく)、思う。心にとどめる。
  • (ゆう)、憂い思う。心配する。

  • 荇菜(こうさい)、日本名「アサザ」、ハナジュンサイともいう。アサザ属ミツガシワ科。日本・朝鮮・中国(全土)をはじめ、ユーラシアの温帯に広く分布する。漢方では、全草を莕菜と呼び、薬用にする。また食用にもなる。米を加えて煮たおじや(糝)は、江南の名菜。水辺で採る蔬菜としては高級品とされている(嶋田英誠編「跡見群芳譜」巻五野草譜より)。
  • 琴瑟(きんしつ)、琴は、五弦或は七弦、瑟は二十五弦の弦楽器。因みに日本の十三弦琴は筝という。
  • 、流れる、行く、仲間などの意だが、白川静さんは、摎が本字であろうという(「詩経 国風」)。摎(びょう)は、求む、摘み取るの意。しかし、私は、流れの中で左右に揺れてなかなか摘めない、求めて得られない様として流をとった。
  • (さい)は、(木の実などを)もぎ取る、
  • (もう)は、草を抜き取る。流、采、芼と「寤寐求之」、「琴瑟友之」、「鍾鼓樂之」への変化で、想い求めた配偶者を得て、仲睦まじくなる様を表している。

(2008/05/26改訂)
「關睢」の印刷用ファイル(a001_print.pdf)をダウンロード


|

« A-006 「桃夭」(桃これ夭夭たる)  『詩経』 国風 周南 | トップページ | A-096 「鶏鳴」(鶏既に鳴けり) 『詩経』 国風 斉 »

詩経 国風」カテゴリの記事

コメント

AKYです。
AKY訳の第4章の最後「弾く琴と瑟」は、「琴瑟友之」から「和す琴と瑟」の方が妥当かなと思って、そのように変えました。広辞苑によれば、「琴瑟相和す」の典故として、この句が紹介されています。
また、この詩を訳すにあたって白川静さんの訳及び中国哲学電子化計劃の英文テキストを検討させていただきました。とくに雎鳩をどう訳すかについては、白川静さんの「みやこどり」に最後まで魅力を感じましたが、結果は伝統的な訳になったわけで、pdfファイルの方には、私の訳も含めて比較をしていただく目的で、両方の詩を引用させていただいています。

投稿: AKY | 2008年3月20日 (木) 18:31

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: A-001 「關睢」(關關たる雎鳩は河之洲に在り)  『詩経』 国風 周南:

« A-006 「桃夭」(桃これ夭夭たる)  『詩経』 国風 周南 | トップページ | A-096 「鶏鳴」(鶏既に鳴けり) 『詩経』 国風 斉 »