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2008年3月30日 (日)

A-150 「蜉蝣」(蜉蝣の羽 衣裳楚楚たり) 『詩経』 国風 曹

   

 

   「蜉蝣(かげろう)
                  AKY訳

薄絹きよらか 蜉蝣(かげろう)の羽(はね)

名残りの衣裳 つきせぬ憂い

(ゆ)かれるものなら あなたのそばへ

 

薄絹あざやか 蜉蝣の翼(はね)

形見の装束 あふれる嘆き

(やす)めるものなら あなたのそばで

 

蜉蝣は蛻(もぬ)いで 地下(じげ)より還る

帷子(かたびら)の白も 叶わぬ願い

眠れるものなら あなたのそばに

(原詩)

蜉蝣之羽

衣裳楚楚

心之憂矣

於我歸處
 

蜉蝣之翼

采采衣服

心之憂矣

於我歸息
 

蜉蝣掘

麻衣如雪

心之憂矣

於我歸

(読下し文)

蜉蝣(ふゆう)の羽

衣裳楚楚たり

心之憂(うれ)うる

(ここ)に我 歸處(きしょ)せん
 

蜉蝣(ふゆう)之翼

采采たる衣服

心之憂(うれ)うる

(ここ)に我 歸息(きそく)せん
 

蜉蝣(ふゆう)(くつせつ)

麻衣(まい)雪の如し

心之憂(うれ)うる

(ここ)に我 歸(きぜい)せん



 「貴方を偲んで、部屋に貴方の着物を掛けています。清らかで美しく、まるで蜉蝣の羽のよう。でも、あなたは、その蜉蝣のようにはかなく、逝ってしまった。私の憂いはつきることなく、嘆きが溢れてきます。
 蜉蝣には、土の中で殻を脱ぎ捨てて蘇ってくるという伝説があります。棺の中の貴方は、白い帷子を着て、まるでその蜉蝣が蛻(もぬ)いだときのようだけれど、蜉蝣とは違って、甦ってきて欲しいという私の願いは、叶いそうもありません。
 できることなら、わたしも貴方と一緒のお墓の中で貴方のそばで眠りたいと願うばかりです。」

 蜉蝣のように、美しく、けれどはかなかった故人。残されたものの嘆き。美しい言葉でつづられ、A‐一二四として掲載した唐風の「葛生」にも負けないくらい美しい詩にしあがっています。

[使われている言葉について]

  • 蜉蝣、かげろう。朝うまれて夕には、命終わるといわれ、はかないことの象徴とされる。一方、中国では、地中で脱皮し、地上に這い出ることから、再生を願う意味もある。
  • 楚楚、清楚。さわやか。
  • 采采、いろどりの鮮やかな。
  • 於我、藤堂明保さん監修の「詩経」(中国の古典一八、平凡社)で、加納喜光さんは、「我において」と訳している。他でもその例が多いようだ。そうすると、「歸處」は、「帰りおれ」となって相手はまだ生きている。於には、「ここ」の意もあり、白川静さんはそのように訳しておられる。そうすると、「於我歸處」は、「ここに我は歸處せん」で、歸處するのは自分だ。相手の人はおそらく亡くなっていて、蜉蝣の羽根は、その人の形見の着物だろう。私もその方が、蜉蝣のはかなさが活きてくるように思う。

 

  • 歸處、歸は、落ち着くべきところにいく。帰る。嫁ぐの意味にも使われる(桃夭)。處は、安らかに落ち着く。腰を落ち着ける野意。白川静さんはこの詩における、この歸處、第二章の歸息、第三章の歸が、唐風の「葛生」での處、息、旦に対応していると指摘し、両方とも亡き人を悼む詩であるとしている。
  • 歸息、息は、やすむ。休息する。
  • は、宿る。
  • 、穴、穴を掘る、殻を脱ぎかえる。蜉蝣が地中で殻を脱ぎかえることから、再生を希う。
  • 麻衣如雪、白い麻ぎぬ、麻衣は、死者の着ける帷子。

 この詩は、滅びようとする国の人々が、蜉蝣のように美しい衣装に現を抜かすことに対する警鐘の詩であるとか、薄幸の女性に対する憐憫の詩であるなどの解釈もあるけれど、それでは、「~掘麻衣如雪」の個所の訳が不自然になります。わたしは、白川静さんの「悼亡の詩」説をとりたいと思います。

(2008/05/26改訂)
「蜉蝣」の印刷用ファイル(a150_print.pdf)をダウンロード


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