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2008年4月30日 (水)

A-014「草蟲」(喓喓(ようよう)たる草蟲)『詩経』国風 召南

 

「あなたを見れば」
              AKY訳

バッタはつがいで飛んだり跳ねたり

私は あなたに会えずに 悩む

あなたに会って あなたを見れば

悩みも消し飛ぶ 私の心
 

山に登って ワラビをとる間も

あなたに会えずに 不安な私

あなたに会って あなたを見れば

たちまち安らぐ 私の心
 

山に登って マメの芽摘む間も

あなたに会えずに 悲しい私

あなたに会って あなたを見れば

うれしさいっぱい 私の心

(原詩)
 

喓喓草蟲
趯趯阜螽
未見君子
憂心忡忡
亦既見止
亦既覯止
我心則降

 

陟彼南山
言采其蕨
未見君子
憂心惙惙
亦既見止
亦既覯止
我心則

 

陟彼南山
言采其薇
未見君子
我心傷悲
亦既見止
亦既覯止
我心則夷

(読み下し文)
 

喓喓(ようよう)たる草蟲(くさむし)
趯趯
(てきてき)たる阜螽(ふしゅう)
未だ君子を見ざれば
憂心忡忡
(ちゅうちゅう)たり
亦既に見
亦既に覯
(あ)
我が心則ち降る

  

彼の南山に陟(のぼ)りて
(ここ)に其の蕨(わらび)を采(と)
未だ君子を見ざれば
憂心惙惙
(てつてつ)たり
亦既に見
亦既に覯い
我が心則ち(よろこ)ぶ

  

彼の南山に陟りて
言に其の薇を采る
未だ君子を見ざれば
我が心傷悲す
亦既に見
亦既に覯

我が心則ち夷
(たいら)


 

「草蟲が二匹キィキィ鳴きあっているわ。あれ、今度はバッタがツガイで跳ねた。
虫たちにだって連れ合いがいるのに、私は、あの人に会うことができない。
 山にワラビやマメの芽を取りに行っても、私は上の空、心はあの人のことでいっぱい。さびしくて、さびしくて。
 でも、あの人が帰ってきて会うことができれば、悩みも何にもない。うれしくて、うれしくて。」
第一句は、虫が相手を追うさま、第二句、第三句は、草つみを通じて、思う人に会う喜びを歌っています。
 摘んだ菜を道の脇に置くと、無事に帰ってくるという言い伝えがあって、菜摘み、草摘みは、遠くに出かけている人の無事を祈る意味があるのだそうです。

[使われている言葉について]

  • 喓喓(ようよう)、擬声語、虫の鳴く声。
  • 草蟲、イナゴの類、つゆむし、くさむし。
  • 趯趯、踊るように飛び跳ねるさま。
  • 阜螽、いなご、ばった、はたはた。
  • 忡忡、憂えるさま。
  • 惙惙、憂えるさま。心が定まらないさま
  • 見、見る、会う
  • 覯(あ)い、人と会う
  • 、語調を整える語
  • 、落ち着く。
  • 南山、召南の地の南の山、洛水に沿って崤山、熊耳山など。
  • 、マメの芽(注)
  • 、悦と同じ。よろこぶ。
  • 、やすらぐ、よろこぶ。

(注)
薇について、この薇がどんな植物であったのかについて、旧説では、ゼンマイ(ワラビ)としていたが、最近では、ノエンドウの仲間とする説も有力。ノエンドウについて、嶋田英誠さんによれば、「野豌豆属の葉と茎は、味が今日のとうみょう(豆苗・豌豆苗児)によく似て、古代には著名な蔬菜であった。生食も可能であり、またスープの具にもされた。蘇軾が詩に詠った元脩菜がこれであり、巣元脩が嗜んだのでこの名がある。同じ理由で一名を巣菜といい、今日の野豌豆属の一部の漢名に、それが遺っている。明代には、官により栽培されて、宗廟の祭祀に用いられた。若芽を蔬菜とするほか、種子を炒め物にして食い、また花を鑑賞するために栽培することもあった。」という。(跡見群芳譜)。私もノエンドウ説を採用して、ここでは、、マメの芽と訳した。

(2008/05/25改訂)
「草蟲」の印刷用ファイル(a014_print.pdf)をダウンロード


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